今年夏の甲子園の高校野球は、決勝戦で仙台育英高校と慶應義塾高校が対決しました。夏の大会連覇を目指す仙台育英と、107年ぶりの優勝がかかった慶應の戦いで、どちらが勝っても大きな意義のある決勝戦でした。結果的に勝利した慶應の森林貴彦監督のインタビューでの言葉が印象的でした。「うちの優勝から新しいものが生まれれば嬉しいですし、高校野球の新しい姿につながる勝利だったと思います」。森林監督が語る「新しいもの」そして「高校野球の新しい姿」とは何でしょうか。

 森林監督は著書『Thinking Baseball 慶應義塾高校が目指す“野球を通じて引き出す価値”』(東洋館出版社、2020年)で、次のように書いています。「現在の高校野球が抱える大きな問題の1つが、野球に対してあまりに時間と情熱を注ぎ過ぎる傾向があることが挙げられます。授業やテストなどの勉強は二の次で(中略)ひたすらに野球だけに傾倒する。これでは将来、社会に出るための準備がおろそかになり、学生の本分をまっとうできません。(中略)野球から身を引かざるを得ない状況になったとき、社会からドロップアウトする選手も出てきてしまいます」(p128)。「こうした考えに至ったのは、文武両道の実現と、さらには選手に欲張って生きてほしいという思いからです」(p130)。

 部活と勉強の両立は多くの中高生にとって大きな課題です。往々にして運動部および音楽系の部活は、試合も含めれば週5~7日の活動です。≪もんじゅ≫でも小学校までは良好な成績を収めていた生徒さんが、中学校で活動時間の多い部活に入って成績が振るわなくなった例を何人も見てきました。入試でスポーツ推薦を狙う生徒さんでなければ、部活は本来週3日前後が適度な活動量でしょう。中学の勉強は高校入試に直結し、入学した高校で将来入れる大学の範囲はある程度決まってきます。部活が内申点に加味されることはありません。もし活動量の多い部活に入るのであれば、勉強をするための時間と体力の確保を心がけなければいけません。部活のために成績が落ちてしまっては本末転倒です。

書名にある“Thinking〇〇”とは、その競技の技能を高めるための手法と、その社会的意義をじっくり考えるということです。技能の向上だけではない、勝利だけでもない、自己修養と社会貢献の方法も同時に考えて初めて意味のあるものになります。それはスポーツだけではありません。勉強もそうですし、そろばんも同様です。人間性と社会性を常に念頭において努力していくことが、森監督の言う「新しいもの」であり、「高校野球の新しい姿」ではないかと思います。