1つ前の記事からの続きです。午前に気象庁を見学した後は、午後に皇居参観をしました。以前から私自身が皇居参観をしたいと思っていたところへ、ある生徒さんのお父様から「どこか歴史的な場所の見学に行ってみたいです」とのご意見をいただいて企画しました。そこで、皇居から近い気象庁を選んで、1日で理科と社会の勉強が同時にできる見学会としました。気象庁と宮内庁のホームページを見ると、どちらも無料でそれぞれの職員さんが案内してくださるとのことで、電話で予約をしました。

 ≪もんじゅ≫の生徒さんと親御さんなど計11名で気象庁での見学を終えた後、15分ほど歩いて皇居の入場手続をする桔梗門へ到着しました。桔梗門の名は、皇居の前身、旧江戸城を築城した太田道灌の家紋である桔梗紋に由来しています。皇居参観は事前に住所・氏名・年齢等をエクセルで入力、宮内庁へメールで提出し、宮内庁から参観許可証が郵送されました。桔梗門でそれを皇宮警察に提示し、手荷物検査を受け、待合所の窓明館へ案内されて待機しました。

 窓明館は約500人が入れるようになっており、その日の午後は300人余りの参観者が集まりました。参観はこの大人数で午後1時40分から一斉の移動でした。宮内庁担当者のアナウンスでは、そのうち約7割が外国人とのことでした。宮内庁がHPで公表しているデータによれば、皇居参観者に占める外国人の割合は、昭和期に1%前後だったのが平成になると増え始め、特に平成27年が23%、28年が36%、29年が48%と急増しています。外国人参観者は宮内庁が作成したスマホの参観用6ヵ国語アプリで説明を読むことができます。

 最初の見学場所は富士見やぐらでした(写真右下)。これは、江戸の大半を焼き尽くしたと言われる明暦3年(1657)の大火で江戸城の天守閣が焼失した後、天守閣に代用された建造物です。天下の覇者としての威容を示すために天守閣を造り直すことよりも、城下の町々の復興を優先させた結果、そのまま天守閣は再建されることはなく、以後の将軍たちは品川の海や富士山をこのやぐらから見渡しました。家康が武断政治で幕府を開いた約50年後に、徳川将軍家が文治政治へ転換した象徴ともなっています。
 
 その次は宮内庁庁舎です。前身の宮内省庁舎は明治時代に築造されましたが、関東大震災で倒壊したため、昭和10年(1935)に和風の要素を取り入れて再建したものが現在の庁舎です。昭和20年(1945)の東京大空襲で宮殿が破壊されると、昭和43年(1968)に現在の宮殿が完成するまで、宮内庁庁舎が一部改築されて仮宮殿として使用されました。現在は、宮内庁長官、侍従長をはじめとする約1000人の宮内庁職員が働く庁舎となっています。参観のガイドと誘導は、庁職員の方々が担当されていました。

 そして宮殿東庭です。毎年、新年(1月2日)と天皇誕生日(12月23日)に開催される一般参賀で、皇族の方々がこの庭に臨む長和殿の中央バルコニーにお見えになり、天皇陛下がお言葉を述べられる場所です(写真右上)。日本人にはテレビなどで見覚えのある場所ですね。長和殿は幅が160メートル、その前の庭は約4500坪あり、一般参賀の人々を2万人収容できます。長和殿の奥には宮殿が続いており、諸行事が行なわれます。天皇皇后両陛下がお住まいになる御所は更にその奥にあります。

 外国人参観者たちに最も人気があったのは、宮殿東庭の先にある二重橋から見る伏見やぐらでした(写真左)。水濠の上にそびえ立つやぐらは、現在皇居内に残るやぐらの中で最も美しく、日本の城郭らしさを残しています。伏見やぐらは、3代将軍徳川家光の時に京都の伏見城から移築されたと言われています。もともと豊臣秀吉の隠居屋敷として建てられた伏見城は秀吉の死後に解体され、いくつかの場所に移築されました。豊臣家の権力を示す遺物を少なくする徳川家の意向があったとの説もあります。

 皇居は、明治維新で首都が東京へ移ったと同時に、旧江戸城が無血開城されて、天皇が京都から約千年ぶりに居を移した「宮城」でした。参観に参加したお子さんたちは、戦後に「皇居」と呼ばれるようになった現在も、門や内堀・外堀、やぐらなどに旧江戸城の一部が残存し、警備が厳重な特別な場所であることを知ることができたと思います。さらに、外国人が“Imperial Palace”として皇居に興味を持ち、毎日数百人が訪れる観光地となっていることも、新しい時代の動向として感じ取れたでしょう。

 右上の写真に写っているように、参観コースを歩きながら手元のスマホのアプリでコースの説明を読んでいる外国人もいるのですが、惜しむらくはそれ以外に外国人への配慮がほとんどなされておらず、参観中は日本語による案内が拡声器で流されるだけでした。せっかく皇居にこれだけ多くの外国人が訪れているのですから、生の声で臨機応変に説明できる外国語ガイドを複数常駐させ、対外的に開かれた皇室のイメージを実感できるようにしていただけたら、もっと参観が充実するのではないかと、≪もんじゅ≫の参観者たちは言っていました。

(高橋門樹)