26日(木)午前のクラス「作文・感想文のコツを伝授します!」には、作文・読書コースの生徒だけでなく、音読・書きとりコースと、そろばん・暗算コースの生徒さんも参加してくれました。
このクラスでは、感想文執筆の基礎であるクリティカル・シンキング、つまり批判的思考の訓練を最初に行いました。本に書かれていることだから無条件に受け入れるというのでは、自分の意見を持つことはできません。導入では、DVDアニメ「3びきの子ブタ」を使って、気軽に「突っ込み」を入れることから始めました。何を言ってもよい、ブレーンストーミングです。
母ブタが「あなたたちも大きくなったんだから、自分の家を建てて自立するために出ていきなさい」という場面で、私が生徒さんたちに「これってどう思う?」と尋ねると、「もし僕が急にそんなことを言われても困ってしまう」などの意見が続出でした。「家なんか造れない」「ご飯も洗濯もできない」とも。母ブタの言うこと自体がそもそも理不尽だったのかもしれません。
ワラや木でできた家をオオカミが吹き飛ばした場面で意見を求めると「これはヨーロッパのお話だから木の家をバカにしているけど、日本の木の家だったら簡単にはこわれないよ。ワラの家(かやぶきの家?)だってあるし」と言います。オオカミが煙突から落ちて、沸騰した水が入った鍋で火傷を負った場面では、「3番目の弟ブタは頭がいいけど、やっていることが残酷!」などの意見が出ました。
すべてを見終わったところで、「もしあなたが作者だったら、どこを変えてもっと楽しい話にする?」と聞くと、「ブタとオオカミが仲よくする方法を考える」「家を吹き飛ばせるほどのオオカミの強い力をもっと別のことに役立てるようにする」「いや、ぼくは子ブタが頭脳プレーで強いオオカミをやっつけるのは楽しいから、もっと戦いの話をワクワクするものにする」などなど、さまざまでした。子どもの発想力はあなどれません。
次はプロの作品を真似して、短編小説を創作する演習です。はじめに村上春樹氏の「鉛筆削り」という、わずか4ページの作品を読みました。水道屋さんが主人公の家で台所の排水パイプの修理をしながら、じっと食卓上の鉛筆削りを見つめていて、いきなりそれをもらいたいと言い出した、という話です。その水道屋さんは鉛筆削りマニアで、希少価値のある鉛筆削りを見つけると、最新モデルの物と交換して入手する癖があったのです。
創作文演習では、「では鉛筆削りの代わりに別の物を設定して、最新モデルと交換してもらってよかった、という話を作ってごらん」と指示し、原稿用紙に書かせました。作文をする際には、上手な人の作品構成パターンをそのまま借りて捜索するのが近道です。特に初めて創作文を書く子どもにとって、何をどのように書くのかのサンプルもなしに、いきなり創作を命じられても途方に暮れるばかりです。
15分ほどで多い子は約700字、少ない子でも300字ほどのストーリーを考えだしました。男の子たちは自分が持っている古いマンガを最新号と換えてもらって嬉しかったというパターンが何人かいました。ある女の子は会社にやってきた電気屋さんという設定で、物ではなく人、会社の従業員を電気屋さんが欲しがるという話を作りました。しかも年配の男性社員です。指名された男性は「わ、わし? いいけど、なんで?」とのセリフ入りのユニークさです。
サンプル通りの構成パターンできちんと話をまとめた子がいれば、奇想天外なストーリーを展開した子もいます。途中の10分休憩の間に、創作文の原稿用紙に赤ペンでコメントを書いて返却すると、子どもたちはコメントを嬉しそうに読んでいました。
他にも、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」の冒頭4ページを読ませて、その中から情景が目に浮かぶ文章表現を一人ひとり挙げさせました。ある男の子は「水晶のような水」と「翡翠のような色をした蓮の葉」を挙げました。水晶の玉が向こう側の景色を、形を変形させながらもくっきりと浮かび上がらせる様や、翡翠の不透明な濃い緑色が、彼には思い出されたようです。宝石好きなお母さんのコレクションで見たことがあるのかもしれません。
別の男の子は、お釈迦様が蓮池の周囲を一人で歩いていたり、池の中をのぞいているところや、カンダタという大泥棒が地獄の底でほかの罪人と一緒にうごめいている姿が印象的だと言いました。特殊な人物がかもしだす雰囲気とその人の動きが気になるようです。物に気がつく子、人が気になる子、十人十色です。
こうした自由な意見表明に慣れてくると、最初はこちらが質問しても口をつぐんだままだった子が、次第に口を開くようになってきます。だんだんと他の子の意見に笑って同調したり、反論をしたりするようになりました。オープンな議論と作文演習で、子どもは自分の考えを言葉にすることの楽しさがわかったようです。