毎年実施している≪もんじゅ≫の夏期講習を、今年はフィールドワーク型の体験学習にしました。タイトルは「わが町の歴史と風習を知ろう――町田市鶴川の用水路・稲作・お稲荷様」です。≪もんじゅ≫の近く約3kmを歩いて各地を探訪しました。引率と解説は、今年4月から指導スタッフとして加わった浅沼秀作先生が担当しました(写真①)。浅沼先生は町田市生まれで、町田市を中心とする都内の小学校教員を約40年間勤められた後、現在は町内会長をされ、地域の歴史と風習に精通されていらっしゃいます。
フィールドワークの日は、8月24日(木)朝9時に≪もんじゅ≫に参加者が集まりました。3組の親子と引率教員の計7名です。こちらで用意した地図等6枚の資料を配布、全体の説明をしてから出発しました。最初に行ったのは≪もんじゅ≫から500mほど歩いた丘のてっぺんです。あまり人通りがないこの場所には、人の背の高さほどの赤い鳥居と祠(ほこら)があります(写真②)。その脇からは丘の下へつながる切通しがあり、斜め向かいには屋敷墓(やしきばか)と呼ばれる旧家の代々のお墓がありました。
赤い鳥居の奥の祠に祭られているのは稲づくりの神様で、「お稲荷様」と言います。稲が荷車にいっぱいになるほど実ってほしいという願いが、「稲荷」に込められています。「稲荷寿司」という名前は、油揚げの中にご飯をつめると米俵のようになるので、それを稲荷様にお供えしたからだと言われています。屋敷墓にはいくつも墓石が並んでいました。墓石には土葬された年が刻まれています。最も古いものは享保13年(西暦1728年)とあり、このお墓の家は少なくとも江戸時代からこの地に住んでいたことが判ります。
切通しを100mほど降りていくと、開けた場所に出ました。浅沼先生に指摘されて道の角を見上げると、墓石のような形をした道祖神3柱が高い場所に並んで置かれていました。こちらは石の横に天保15年(西暦1845年)と刻まれています。道祖神は村の入口に置かれ、悪霊が村の外から入って来ないようにするための守り神だそうです。道祖神の祭日は1月の小正月で、その時に各戸のしめ縄や松飾りなどを持ち寄り、それらが押さえ込んでいた悪霊とともに焼き払う「どんど焼き」が行なわれます。
道祖神が見下ろす丘のふもとへ下ると、井戸がありました。ふき上げ井戸と呼ばれ、ポンプで地下水をくみ上げなくても、水が湧いて出てきます。地下水が地表近くを流れているため、1メートル程度の管を地面に押し込めば、水が噴き上がります。地下水がわき出やすいこの辺りには、自然と集落ができていきました。現在、この井戸水は誰でも使えるように開放されていて、浅沼先生は散歩がてらペットボトルにこの水を入れてよく飲むそうです。私たちも飲みました。冷えていて美味しかったです(写真③)。
そこから300mほど歩くと、大蔵堰(おおくらぜき)と呼ばれる灌漑施設がありました(写真④)。現在コンクリートで固められているこの堰は、傍らに「大蔵堰治水記念碑」(昭和18年)と「かんがい排水事業完成記念碑」(昭和39年)の2つの石碑が建っています(写真⑤)。碑には、40町を潤す小野路川(おのじがわ)一帯を穀倉地帯にすべく、大蔵の地に灌漑施設を造ったと経緯が記してあります。昭和18年は木造で堰を造り、東京オリンピックが開催された昭和39年にはコンクリートで再整備したとのことです。
この小野路川は他の川と合流して、最終的には横浜市の鶴見川となります。この地域一帯が現在「鶴川」と呼ばれるのは、この川が流れる7つの村が1889年に合併されてできる村の名前を決める時に、「鶴見川の支流域の村なのだから、川の名前を短縮して鶴川でどうか」との理由で、鶴川村に決定したことに由来します。なるほど、鶴見川支流の周囲に広がる平野の稲作地帯だったから、鶴川には人口が集中し、鶴川駅は町田市内にある鉄道の駅の中で町田駅に次いで乗降客の多い住宅地になったのですね。
大蔵堰は一部の水が農業用の灌漑に流れるように造られています。浅沼先生は、この小野路川の主流から外れた細い用水路をたどって、400mほど離れた田んぼまで案内してくれました。田んぼ一面には、黄金色に色づき始めた米がたわわに実っていました。浅沼先生が「この田んぼは小学生が田植え体験をできるように、地主さんがわざわざここだけ田んぼを残してくれているんだよ」と説明すると、近くの小学校に通っているお子さんたちは、「ぼくもここで田植えをしたことがある」と言っていました(写真⑦)。
4時間歩き続けのフィールドワークを終えたら、≪もんじゅ≫に戻ってお昼ご飯を食べました。次は質疑応答です。ある生徒さんは、町なかを歩いていて玄関先にキュウリとナスで作った馬と牛が飾られているお宅が何件もあったことに気づきました(写真⑥)。「あれは何だったのですか」との質問に対し、浅沼先生は「お盆にご先祖様が戻って来る時の送り迎えに乗っていただくためのもので、とれたばかりの夏野菜を捧げる意味もあるのです」との答え。生徒さんたちは「そうなんだ」と、うなずいていました。
最後に、浅沼先生が総括をされました。「今日の講習で皆さんに伝えたかったのは、ご先祖様に感謝することです。むかしぼくが子どもの頃に親が『わが家の田畑で作物が実るのも、昔からご先祖様が精魂込めて土を手入れしてきたからなんだよ』と言っていたのを、いま実感しています。そして、地域の人たちが数百年も昔から村のために大変な努力をしてくれたから、今の私たちがここで不便なく生活することができています。特に夏のお盆の時季には、ご先祖様のことを想うようにしてください」。
一緒にフィールドワークをしたお母様は、「ふだん見慣れた地元ですけれど、様々な場所で昔の人たちの歴史と営みがあったことを知ることができました」と言っていました。現在、用水路は子どものザリガニとりの遊び場として使われるばかりで、田んぼはほとんど見なくなってしまいました。しかし、豊富な水脈が鶴川の町づくりの基礎にあったことは、大きな発見でした。私は散策をしながら浅沼先生の説明を聞くほどに、自分たちが住んでいる場所への愛着を、あらためて抱くようになりました。
他にも、浅沼先生から聞いたトリビアな歴史と農家の風習に関する逸話はたくさんあるのですが、残念ながらここには書ききれませんので、今回の報告はここまでにしておきます。こうした知的好奇心と社会的な感性を育てる夏休みらしいフィールドワークは、≪もんじゅ≫の課外活動の1つの形として、これからも定期的に企画して行きたいと考えています。≪もんじゅ≫は「勉強は楽しい」をモットーに、「なぜ?」と「なるほど!」で、お子様の頭と心を刺激します。
(高橋門樹)