「べんてん様」と呼ばれるのは、弁財天または弁才天と書かれるインドの女神サラスヴァティです。サラスヴァティはインドの母なる大河インダス河の神様といわれており、そこから人々に恵みをもたらす神であるとされています。豊穣の神様「べんてん様」は弁「財」天と書かれるようにもなりました。さらに、弁舌に優れた知恵の象徴でもあり、河畔で琵琶をつまびく芸術神でもあることから、大弁才天女との名前もあります。日本の三弁財天といえば、江ノ島、竹生島、厳島です。本来の河ではなく海や湖ですが、水辺にあることが共通しています。特に江ノ島神社の弁財天は、社僧が江ノ島神社のご利益を関東各地で説いて回ったために、江戸時代の町人にとって江ノ島一泊参拝が流行り、弁財天信仰の浸透に貢献しました。鎌倉では銭洗(ぜにあらい)弁天が有名です。
「ほてい様」は中国に実在した釈契此(しゃくかいし)という名の僧侶がモデルです。不明な部分が多いのですが、916年に中国浙江省岳林寺で没したことが伝えられています。布袋和尚(ほていおしょう)は布の大きな袋を抱えて、人々から寄進された食べ物を中に収めていたそうです。和尚はいつも朗らかな笑顔で、丸顔、たいこ腹、耳たぶの大きな福相をしています。大きな布ぶくろを持って旅をしていた布袋和尚は、たくさんの子どもを引き連れていたと言われています。小難しい説法をせず、笑顔で子どもたちと遊ぶ和尚の場を和ませる人柄と、愛嬌ある風貌が人々に愛されました。霊力も保持していたと言われる彼は、後に布袋尊として神格化され、布袋信仰が広まりました。京都の祇園祭では、布袋尊が乗る巨大な山鉾が登場します。
福禄寿(ふくろくじゅ)と寿老人(じゅろうじん)は、中国の道教の神様です。中国の司馬遷が著した歴史書『史記』には「地平線近くに南極老人という大きな星があり、この星が現れた時は天下泰平となる」と書いてあります。日本や中国からは、春分と秋分のときにだけ南の地平線に見られる南極星の化身が、これら2神です。中国の予言書『元命苞』には「老人星が人々の寿命を支配する」と書いてあります。11世紀北宋には南極星の化身であると自称する老人が現れ、福禄寿として信仰の対象となりました。名前からわかるように「福」(幸福)と「禄」(収入)と「寿」(長寿)を人々に与える神様です。「福」がコウモリの中国語「蝠」と、さらには「禄」と「鹿」も同音であることから、七福神像の中で、福禄寿はコウモリやシカが伴っていることが多いです。長寿のシンボルであるも桃を手持っていることもあります。長頭短躯の異形の老人としても描かれます。ただし、福禄寿と寿老人は、もともと同一神であるとも考えられることから、外貌が混同されがちです。寿老人は道教の開祖である老子が仙人になったとする言い伝えがあります。
七福神は、室町~江戸時代の町人たちの間で身近な信仰対象として流行っていきました。皇族や貴族が中心の大寺社が如来や観音などの高次元の仏神を祭神としているのに対し、それらよりも庶民的な仏神である七福神をまつっている身近なお寺や神社が参詣の対象となったわけです。それら七福神が宝船に乗った絵を枕の下に置いて正月早々に寝ると、良い夢が見られるという習慣も江戸時代から始まりました。日本・インド・中国の仏神が日本に集結して、新年早々、庶民に賑わいをもたらしてくれるのを、ありがたくも楽しんでみるのもよいと思います。
門樹