いまや日本を代表するジャーナリストといえる池上彰氏の新著『池上彰の教養のススメ』(日経BP社)を読みました。同著の中には、なるほど!と、思わずヒザをたたく文章がいくつもあったので、いくつかを語録的にご紹介します。

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「専門科目だけを徹底的に習得させると、たしかに学生たちは『できる人間』になります。でも、この『できる人間』とは、あくまで『決められた枠組み』で『できる人間』のことなんですね。」

「実社会には、そもそも『正答がある問題』そのものが存在しません。(中略)そこで必要なのが教養です。(中略)教養は、何が問題で何が答かわからない現実社会で、問題と答を探るための手がかりを与えてくれます。」

「『教養教育』とは実は高度な社会性を身につける教育なのですね。正義とは何か、平等とは何か、人は何のために生きているのか、異なる背景を持った他者と理解し合えるとはどういうことなのか。(中略)そうした軸がないままで社会に出ると、その後、右往左往するだけです。そして「役に立つ」「お金がもうかる」といった指標だけで動いてしまう。」

「私たちが次の時代に生き残るために必要なのは、常に多様性です。『さまざまな人たち』が『さまざまな経験』『さまざまな智恵』を寄せ合い、そこからいくつも新しいアイデアが生まれる。そんなアイデアのひとつが、たまたま次の環境に適応して生き残る。」

「私たちが学生に教えるべきは、知識そのものではなく、学び続ける姿勢です。」

「まず、四の五の言わずに本を沢山読む。読書から十分に教養を身につけることができます。」

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日本は1980年代のバブル経済の時代まで「欧米に追い付け追い越せ」を目標に、効率良く大量の知識を覚えこむ能力を学習面で問うてきました。しかし、少子高齢化や人口減少にともない、成長ばかりを追求するよりも、いかにして成熟するか、外国・他文化と共生するかが最大の課題となりつつあります。教育も知識偏重から知識の活用や人間性の重視へと目標を移行させなければいけないでしょう。特に初等教育では人生において基礎となる知力、経験の習得が、おとなになった時の「教養」へと結びつくように思います。
≪もんじゅ≫では、日本で昔からいわれてきた「読み・書き・そろばん」を、今なお教育方法として実践しています。漢字と語彙、古典の言葉を大切にし、瞬時に複雑な計算をこなす脳力こそが、日本的教養の第一歩であると考えているからです。そして、≪もんじゅ≫遠足では知識を血肉化させる体験授業を、また夏期講習・春期講習では楽しみながら興味を引きだす参加型授業を行なっています。≪もんじゅ≫の生徒さんの多くが自ら学ぶ姿勢を身につけ、社会に巣立って行ってくれることを願っています。

門樹