この期間に行った昼間のお預かりでは、基本的に各自教室で勉強するものを持ち寄り、自習の形をとりました。
とはいえ、質問をされれば説明もしますし、マルつけもします。
この期間の成果は、日々決めたことに取り組んだお子さまの勉強習慣の定着と驚くべき学習能力の伸びでした。特に、毎日あるいは定期的にいらしたお子さまは通常よりもはるかに速いペースで勉強を進めることができました。問題集やドリルをどんどん進めることができたり、そろばんであれば珠算・暗算の練習を毎日することで手に届かなかった級を受験できるようになったりと、著しい上達が見受けられました。
これは裏を返せば、休校期間と春休みの1ヶ月間をなんとなく時間を過ごしてしまった場合、こうした機会を逸失してしまうことを意味します。その点を多少でも補うことができたことは有意義でした。
もう1つ、大きな収穫だったのは、複数回にわたり行った「議論」でした。
あるとき、こども新聞をみながら書写をしていた子どもの読んでいた記事に東日本大震災の記事がありました。そこで、その場にいた子どもたちに、この震災の話を振ってみました。よくよく考えると当然なのですが、この震災の記憶があるのは大体が5年生以上の子どもたちだけで、それより小さい子どもたちは家庭で話を聞いたことがあるという程度でしかありません。
そうか、あの大災害の話も伝えていかないと風化してしまうのか…と思い、そのときに「みんながもしも江の島で遊んでいるときに大地震がきたらどうする?」と問いかけ、ホワイトボードに江の島の絵を書いて、江の島がここ、こっちは砂浜、こっちは海、反対側に道路や建物、こっちは山、道路はこんな風になっているとイメージをさせて、みんなだったらどこにどうやって逃げる?と質問してみました。
子どもたちの答えをみていると、震災を記憶している子どもとそうでない子どもの話の切迫感が全く違い(年齢ということは抜きにしても)、考えさせられたのです。そして、この日にこの話合いに参加した子どもたちが翌日から、「先生今日も議論やらないの?」と声が上がるようになり、その声は日に日に大きくなりました。
取り上げた題材は「オリンピック開催の是非」「校則」「今回の休校について」など様々でした。驚いたのは、子どもたちに身近な話題であれば、小学校低学年でも立派に議論が成り立つことでした。
「休校」の是非を題材にしたときは、子どもたちのことなので、「休校が嬉しい」という声が大半になるかと思いきや、賛成派と反対派がちょうど半分ずつに分かれました。そのため、賛成と反対の2チームに分かれて意見を言い合うようにしました。
賛成派の理由は「感染の心配がない」「体が疲れなくていい」「自分のペースで勉強できる」「嫌な先生や友達に会わなくて済む」など。反対派の理由は「教育の機会が奪われる」「その分、後でたくさん勉強しないといけなくなる」「友だちと会えない」「卒業式ができなくなる」「外に出られない」などなど。
これらの意見が小学校低学年から中学生までの間でどんどん出てきて、賛成派が理由を言うと、反対派が「でも、こうじゃないの…」「それはわかるけど、私はこう思う」と返し、さらに賛成派が「だけど、これはこうでしょ?」と立派に議論が成り立っていました。
私はあまりに話の筋がそれたときだけ軌道修正し、基本的には子どもたちの活発な意見の交換を見守っていました。子どもたちは相手の意見を受け止めた上で、自分の意見を堂々と述べ、さらにそれを踏まえて自分の考えを深掘りしていくのです。中学生が小学生の話に耳を傾けたり、小学生が中学生顔負けの持論を展開する一方、相手を否定したり、違う意見を排除することはなく、毎回、多少のメンバーが違っても、うまく進行すればいつも建設的な議論になりました。そして、議題によってはきちんと落としどころまでみつけたりして、お互い「なるほどね~」などと言い合うことも少なくありませんでした。
子どもたちの議論をみていて、私はとても感動しました。教室の開塾当時から「自分で考え、意見を言えて、行動に移せる人」を育てたい!と思って子どもたちと接してきましたが、それが実を結んだかのような状況が目の前で繰り広げられていて本当に胸が熱くなりました。
これは休校中のお預かりで私の大きな収穫のひとつとなりました。