本日の朝日新聞に、全国珠算教育連盟東京都支部の「チビッ子そろばんまつり」の記事が掲載されていますので、以下に転載します。写真は、日本一長いそろばんを子どもたちが同時に使って読み上げ暗算をしたり、そろばん神輿を担いでいるところです。
(文章と写真は『朝日新聞デジタル』からのコピーです。)
http://www.asahi.com/articles/ASK254T3NK25UQIP00Q.html

***『朝日新聞』2017年2月7日19ページ(東京多摩版)
 学問の神様・菅原道真を祭る湯島天神(東京都文京区)で5日、子どもたちのそろばん上達を祈願する「第42回チビッ子そろばんまつり」が開かれた。
 小学2年生以下の子どもたち92人が参加。長さ約4メートル、283桁のそろばんを使った読み上げ算に挑戦。真剣な表情で玉をはじき、元気に手を挙げていた。その後、そろばん約120丁を使ったみこしを担いで境内を一周した。
 全国珠算教育連盟東京支部長の田中耕吉さん(56)は、「42年の歴史の中には、親子2世代で来てくれる人たちもいる。そろばん教育を将来につなげていきたい」と話した。
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 ところで、「学問の神様」と呼ばれる菅原道真(すがわらのみちざね)はいつごろの人で、どのようにして天神様として祀られるに至ったのかご存知でしょうか。
 平安時代の845年に生まれ、学問に秀でていたことから「文章博士」などいくつかの要職を歴任した道真は、当時権勢をふるっていた藤原家に有力者が不在だった一時期、宇多天皇によって重用されました。唐の混乱と日本文化の発達を理由に、894年に遣唐使の廃止を建議したのは彼でした。三女を皇子の妃に輿入れさせ、右大臣にまで昇進し、朝廷権力の中枢にも近づきました。
 しかし、道真の破格の抜擢をねたんだ藤原家などから罪を捏造され、彼は九州の大宰府(だざいふ)へ左遷されてしまいました。そして、903年に彼が大宰府で死去すると、彼の失脚に加担したとされる貴族の変死が相次ぎ、京都で天災と天皇崩御まで起きると、「道真のたたり」として怖れられました。そして彼を学問の神「天神様」としてまつり、鎮魂のために北野天満宮が建立されました。
 今回、「チビッ子そろばんまつり」が開催された東京の湯島天神は、菅原道真を祭神としてまつっており、特に徳川将軍家によって文教の中心地として保護された場所です。また、道真が没した地にある太宰府天満宮は、全国から来る受験生の合格祈願で賑わう神社となっています。全国には学問の神、道真公をまつる神社として、天満宮、菅原神社などが多数あります。