今朝、2020年から大きく変わる大学入試についての記事がタイムラインに流れてきて、思わず反応してしまいました。

過去問だけではもう通用しない?
5年後、大学入試が大きく変わる

という言葉です(この記事自体は、大手の宣伝だったりしますが)。

この改革の中心となるのが、「思考力」「判断力」「表現力」。

実際のところ、こういうことは言われて久しいのですが、現状をみると、やっぱり偏差値教育から抜け出せていないことが歯がゆくて仕方ありません。

教室 を始めてから、ずっと念頭にあるのがこの点なのです。
もちろん、これらを養うための基礎学力はみっちりつけなければいけません。
大きな木を育てるには、しっかりした土壌が必要です。

なので、お教室でいわゆる「読み書きそろばん」としたのは、まずその土壌作りが必要だと思ったからです。
が、単に漢字を覚えたり、計算を早くするだけにとどまっては意味がありません。

読み書きでは、漢字を覚えるのみならず、音読で簡単の古典や歴史や他教科の基礎など、教養のベースになるものを声に出しながら耳に入れることで早くから触れ、

作文・読書では、書くこと、読むことと同様に、考えること、伝えることに主眼を置いた勉強をし、

そろばんでは、「そろばん」という道具を使うことで、左脳を鍛えて計算を早くすることはもちろん、それと同じぐらい(最近ではよく知られていることですが)右脳の発達を促します。

そうした滋養たっぷりのベースをつくっておけば、
「思考力」「判断力」「表現力」
を養う土台は十分整ったといえます。

この背景には、重箱の隅をつついたような問題のために、瑣末なことまで暗記しても、それが将来役立つのだろうか?とずっと考えていたという経緯があります。
細かいことはネットで調べればすぐにわかりますから。

一方で、こんなに変化が激しい時代に、正解が1つではないことが往々にしてあります。
もちろん、それはなんでもありというのではなく、人間として譲れない部分は、学ぶ過程でみっちりと身につけていきます。

そして、「なぜ?」と疑問をもてること、その疑問に対し考える習慣をつけること、その疑問をもった問題に対する解決策を見出していくこと。
これこそが、これから世に出ていくこどもたちに必要なことだと思うのです。

逆に言えば、情報を鵜呑みにして、自分で考えることを放棄したら、その時点で、時代に飲み込まれて、翻弄される人生になってしまうでしょう。

私の周囲ではもうあまりみかけなくなりましたが(ゼロではありませんが)、「これまでずっとこうしてきたから」という考えはもう通用しません。

自分の足でしっかり立って歩いていける人、困難に直面してもそれを克服するために考えて行動できる人。今、接しているこどもたちが1人でも多くそんな大人になってほしいと願いながら、日々こどもたちと過ごしています。