こども教室もんじゅ(以下≪もんじゅ≫)代表の高橋直美でございます。先般二〇一八年八月一日に、私の母、浅井公子が享年八一歳で永眠致しました。こども教室もんじゅの教室棟で八月五日に行なった告別式では、多くの方々のご弔問をいただきました。お悔みをくださった方々、お言葉をおかけくださった方々、すべての皆様に心より御礼申し上げます。

 母は≪もんじゅ≫開塾当初の二年間そろばんを教えていました。≪もんじゅ≫の前身は、母と十五年前に亡くなった父が、四十年以上にわたって経営してきた浅井珠算教室でした。この場をお借りして、両親がここ町田市鶴川の地でそろばん教育に尽力した事績を、少しばかりご紹介させていただきます。

 浅井公子は、京都御所の近くで生まれ育ちました。中学・高校在学中にそろばんを修得し、父、浅井修と結婚後に上京しました。一九六八年、できたばかりの鶴川団地の集会所で浅井珠算教室を始め、一九七六年、団地に隣接する現在の≪もんじゅ≫の地に教室を移しました。私は三歳から、母が教える教室の隅でそろばん珠をはじき始めました。五歳で日商珠算検定三級に合格できたのは、母の指導の賜物です。

 珠算が習い事として最盛期を迎えた一九八〇年代に、両親は首都圏で十四のそろばん教室を開いていました。母は生前、自分が直接教えた生徒さんが四千人以上いると話していました。当時、母は指導の傍ら、浅井珠算教室の若い指導スタッフさんたちに食事を作るなど、多忙な中で生活面のお世話をしていたのを覚えています。

 当時の鶴川団地は子どもで溢れ、バス通りは商店街で賑わっていました。わが家の教室の前には、毎日夕方になると生徒さんの自転車がびっしりと並んでいました。父は教室で珠算を教える他にも、青少年の職業訓練の一環として少年院でもそろばんを教えていました。毎年夏休みにはバスを一台借りて、生徒さんたちを河口湖などへ珠算合宿に連れて行くなど、地域のお子さんたちの教育に熱心に取り組んでいました。

 かつて浅井珠算教室でそろばんを習われた方の中には、現在お子さんを≪もんじゅ≫に通わせてくださっている方々がいらっしゃいます。東日本大震災の津波で被災した岩手県陸前高田市の戸羽市長は、鶴川第四小学校出身で浅井珠算教室に通われていました。震災後に鶴川で講演会があり、母と私が聴きに行くと「先生、お久しぶりです」と手を握ってくださり、母は嬉しそうにしていました。地元の御縁は本当にありがたいものです。

 私が二〇一三年に浅井珠算教室を「こども教室もんじゅ」としてリニューアルし、そろばん指導を始めたことや、私の中学生の娘が幼少時からそろばんを頑張って練習していること、また両親からそろばんを習われた方々のお子さんが今≪もんじゅ≫でそろばんを練習されていることなどは、すべて私が両親から引き継いだものであり、大きな遺産であると実感しています。母に感謝しつつ、冥福を祈ります。

 二〇一八年八月末日