独自の歴史観で読者を楽しませてくれる井沢元彦氏の著書『伝説の日本史 第2巻 源氏三代、血塗られた伝説』(光文社、2013年)に、興味深い記述がありました。

「祇園精舎の鐘の声…」で始まる『平家物語』はもともと書物ではなく、琵琶法師が楽器の琵琶をつま弾く音にあわせて吟じる物語でした。『平家物語』が流行した鎌倉時代、公的教育機関が存在しなかったため、一般民衆は文字の読み書きができませんでした。そこで音曲に合わせて歴史物語を読みあげていく手法で、同物語は全国に広がっていきました。娯楽のなかった当時、琵琶法師が演奏とともに朗々と詠じる物語を、何度も聴きに行った人々は少なくなかったことでしょう。そのうちにセリフや筋を覚えてしまう人が多く出てきます。

井沢氏は「時間や労力のかかる文字教育から始めるのではなく、物語の面白さや魅力によって、庶民の知的好奇心を刺激し、結果として全体の知的レベルの向上につながった」と、『平家物語』の社会教育的意義を説明します。「意味がわかっていれば、『祇園精舎』という漢字を見せて、これが『ぎおんしょうじゃ』と読むのだと教えればすぐに憶えられ」ます。さらには、この琵琶法師による歌語り効果に加えて、鎌倉仏教の念仏が日本人の識字率の高さの基礎となったと言います。

「ユネスコなどでは今でも苦労していますが、この最初の壁を乗り越えるのが大変なんですね。字を読めない人が字を読めるようにするときに最初につまずくのは、字が読めたからといって何になるのという教わる側の疑問なんです」。井沢氏は、書物を「読むことの楽しみを教えることほど難しいことはないんです」と指摘します。

親が子どもに勉強を命じると、子どもは「一体この勉強が将来、何の役に立つのか」という反発を覚えることが往々にしてあります。見たことも聞いたこともない事象の理解と暗記に疑問を感じるわけです。「ところが、魅力的な物語の『平家物語』を耳で覚えていれば、理解が早いわけです」と、音と内容の面白さから入る学習の重要さを、井沢氏は強調します。勉強の入り口の設定の仕方、あるいは第一印象の問題とも言えるでしょう。

≪もんじゅ≫の音読・書きとりコースも、狙いはそこにあります。同コースでは古典文学作品の抜粋や、算数・国語・理科・社会・英語で必ず出てくる用語や単語が音読教材化されています。初めて聞く知識を学校で教科としていきなり教え込まれるのではなく、それら知識が音読教材ですでに見おぼえ、聞きおぼえ、言いおぼえがあれば、学校の授業で改めて説明を受けた時の理解度と受容姿勢に格段の違いがでてきます。

幼少期から勉強を「忍耐の必要な修行的行為」として認識するよりも、声に出したり、ゲームのようにして覚えていくほうが、勉強好きな青少年へと育っていくことができると思います。平家物語の冒頭「祇園精舎の鐘の声…」の一節は、≪もんじゅ≫でも音読します。リズミカルな漢文調の文章は、呪文を覚えるかのように楽しがって、子どもたちが覚えていきます。