8月1日から『日本経済新聞』の「私の履歴書」欄は、脚本家の倉本聰(くらもと そう)氏が書いています。
倉本氏は1934年に東京で生まれました。東京大学文学部を卒業後、ニッポン放送に入社しますが、4年後に退社、フリーの脚本家になります。1977年に北海道の富良野に移住、脚本を書いたドラマ『北の国から』が1981年に大ヒットし、以後、数々のドラマや映画の脚本を手がけられています。
そんな倉本氏が「私の履歴書」の3日目(2015年8月3日)に、お父さんの倉本太郎氏が自分に施した教育方法を書いています。太郎氏は東京帝国大学卒業後に、出版社を経営されていたそうです。興味深いので以下に抜粋します(***印ではさまれた文章)。

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勉強のことは何も言わなかったおやじが、僕にたたきこんだ教育は音読だ。簡単な漢字なら読めるようになった5歳ぐらいから宮沢賢治の童話を大きな声で読まされた。「風の又三郎」「銀河鉄道の夜」「貝の火」など毎週1冊音読するのだ。
意味はわからなくていい、文章の点とマルをしっかり考えて読みなさい。おやじはそう命じた。賢治の童話には詩のような美しい韻律がある。音読を続けたことで文章の呼吸とリズムが幼い脳と心に染み込んだ。俳句もよく作らされた。(中略)
おやじが僕に残してくれた「遺産」に気づいたのは40歳になってからのことだった。

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40歳の時、倉本氏はNHK大河ドラマ『勝海舟』の脚本を担当されています。「私の履歴書」の連載ではまだその段階まで話が及んでいませんが、どのように音読が「遺産」として役立ったかは、間もなく紙上で具体的に語られるでしょう。
≪もんじゅ≫が音読・書きとりコースを立ち上げて音読を指導しているのは、まさに倉本氏が指摘されている点にあります。名文の暗誦は、文章のリズムと韻律を頭に刻み込んでくれます。文章の美しさを感じ取れば、自ずと文章を求めて読むようになります。
音読・書きとりコースのテキストは、学校の主要科目の勉強内容をすべて網羅しているわけではありません。しかし、各学年の重要な知識を音読テキスト化するほか、名文や名句を暗誦して普段から口ずさめるようにし、文芸作品に親しみを持ちやすくしています。

 

門樹