2020年の小学校英語教科化を見据えて、≪もんじゅ≫の音読・書きとりコースでは、英語を漢字と並んで学習内容の2本柱とすることにしました。その具体的な内容に関することは別稿でご紹介するとして、英語学習を通じて本来修得すべき知的能力とは何かを、少し書きます。

欧米では“Show and Tell”と呼ばれる自己表現の練習を、子どもが小さなうちから学校で繰り返します。例えば幼稚園児であれば、自分が好きなものを家から持参して級友たちの前で見せて説明をします。絵本、ぬいぐるみなど、なんでもかまいません。説明が終わると、今度は級友たちが「誰からもらったの?」「いくつ持っているの?」など自由に質問をします。

こうした自己表現の訓練は、幼稚園ばかりではく中学校や高校でも行われます。日本人のように大人しく黙って人の話を聞いているのが「いい子」と評価されるのとは正反対で、自分の体験や考えをわかりやすく堂々と話せる子どもこそが「できる子ども」とみなされます。そうした自分の考えを口頭で表現できるようにする訓練が、決定的に日本の教育内容に欠けていることの1つです。

最近見つけた英語教材がとてもユニークです。サイコロの6面に言葉や質問が書いてあり、それをもとに自己紹介や創作をしたり、読書の読解をしたりするものです。1辺4cmほどの手ごろな大きさで、硬めのスポンジ製です。6面それぞれに何が書いてあるのか、思わず1つ1つ読んでしまいます。(以下に挙げた文例は、私が撮った添付写真に写っているものです。)

“Story Starter Word Cubes”(お話を始めるサイコロ)は、“teacher”(先生)、“police officer”(警官)、“grandpa”(おじいさん)、“girl”(女の子)など1単語が書いていあるサイコロや、“receives a letter”(手紙を受け取る)、“on an island”(ある島で)、“in the desert”(砂漠で)などのように2~3単語で状況設定が書いてあるサイコロです。

これらをサイコロとして振って出た組み合わせ、たとえば「警官が砂漠に置き去りにされました」、「1人の女の子が目を覚ましたら無人島にいました」などのお題で、すてきな物語を作ります。ただし、日本の学校ではせっかくの創作話を授業で発表すると、友だちが後でからかったり、バカにする材料になりかねません。「イマジネーションを楽しむ」「オリジナリティをほめる」雰囲気の醸成が肝心です。

“Conversation Cubes”(会話の質問サイコロ)は、“What subject do you like?”(あなたの好きな教科は?)のような一般的な質問から、“Who is the bravest person you know?”(あなたが知っている最も勇気のある人は誰ですか?)、“What makes you unique?”(あなたの特徴は何ですか?)、“What was the strongest dream you have had?”(あなたが一番かなえたいと思ってきた夢は何ですか?)など面接の質問のようなものまであります。

“Reading Comprehension Cubes”(読解力サイコロ)は、“What lessons can you learn from the story?”(この物語から何を学べますか?)、“What does the title tell you about the story?”(このタイトルは物語の何をあなたに伝えますか?)、“Find and define an unfamiliar word.”(あなたがよくわからない言葉を探して、その意味を調べましょう)などの質問が提示されています。これは知識の問題ではなく、思考力と論理力の問題です。

こんな手のひらサイズでカラフルなサイコロは、目の前に転がっているだけで楽しいです。つい買ってしまったのは合わせて24個、各6面に1つの質問で計144個の質問があります。手の中でサイコロを回しながら質問を読むだけで、英語の質問の言葉づかいの発見がたくさんあり、「自分だったら、なんて答えようかな」と想像がかきたてられてしまします。

≪もんじゅ≫の音読・書きとりコースでは、各学年の教材に「自己表現」という単元があります。幼稚園児であれば、好きな食べ物やお父さん・お母さんの好きなところ、小学校中学年では自己紹介や現在打ち込んでいること、高学年になると自分の長短所、将来の夢などについて発表していもらい、他の生徒は質問をします。人前で話すことを最初は恥ずかしがっていた子も、慣れてくるときちんと論理立てて話せるようになります。

閑話休題、本題に戻ります。次世代の日本は、英語教育から何を学ぶべきなのでしょうか。従来の黙読・翻訳・暗記型の英語学習をしても話せるようにならないのは、ほとんどの日本人が経験ずみです。たとえ知っている単語の量は少なくても、すでに知っている語彙を活用して話すことが大切です。文法的には多少不正確でも、勇気を出して自分の体験や考えを話す能力の錬成です。

母国語の日本語でも、上記の「あなたが一番かなえたいと思ってきた夢は何ですか?」「この物語から何を学べますか?」などの質問にきちんと答えられるでしょうか。これまでの日本の大学入試では英語を含め、マークシート解答が中心だったために、入試対策で口頭での質疑応答の練習はほとんどありませんでした。日本人が会話下手、語学下手と言われる最大の要因は、そこにあると私は考えます。

教科化される小学校英語の目的について、文科省は「子どもの言語の獲得は『言語使用を通して言語獲得』と言われる」と英語教科書の指導手引きで書いています(小学校外国語教材『Let’s Try! 1 指導編』)。実際に英語を使うことで習得させようとする方向性は正しいと思います。しかし、それは英語1教科のみで達成されることではなく、多くの教科において議論や発表、質疑応答が日常的になされなければいけません。

欧米の大学に留学した人は、外国での授業参加と成績評価について「意見を述べること自体が積極的な授業参加であり、授業に貢献したとして高く評価されることに驚きました」と、よく言います。日本の学校でも「私語はしないで黙って聞いていなさい」ではなく、「この問題について隣りの人と話し合ってごらん。そして発言をした人に『発言ポイント』を加点するよ」としてはどうでしょうか。

他人との討論によって、物の見方が豊かになり、意見交換を楽しく感じることを体験させる文化を、英語の授業を通じて知ることができます。せっかく対話型の英語教材を作っても、そうした文化を楽しむ文化を生徒が共有していないと、生徒はいくら発言を促されても指名された時にしか教師の質問に答えないし、自ら発言をすることはないという、従来の教室の様子が繰り返されるだけでしょう。

教師の質問は知っているのか否か、難問を解けたか否かを問うのではありません。誰でも意見を出せる質問を教員が生徒に提示し、参加者たちが自由に発言できるように促します。その中でその場の共感を得られる意見を出し、他人の見解をさらに発展させる思考を、その場で生徒たちがひねり出せるように練習するのです。そんな「対話文化」を、若い人たちが英語の授業から学び取ってくれることを願っています。