最近は入試で志望校に提出する内申書や面接で、ボランティアをしていることが高評価される傾向があります。わが家の中学生の娘も、昨年度末に学校から渡された通知表に、「来年度からはもっとボランティアが重視されます。きちんと参加するように」と、先生のご指導をいただきました。そこで今回はボランティアの意義と教育効果について、私の体験などから考えてみました。

 私は先週末4月28日(日)に開催された大相撲町田場所のお手伝いに、市民ボランティアとして参加しました。町田場所は日本相撲協会の地方巡業の一環として、2016年から東京都町田市立総合体育館で毎年行われることになったもので、今年が4回目でした。町田市民など4千名以上の来場があり、横綱・大関以下50名以上の関取による取組に、会場は大いに盛り上がっていました。

 大相撲町田場所のボランティア活動は、前日の会場設営と当日の運営サポートでした。日本相撲協会から委託されたイベント会社が、70名余りの市民ボランティアと学生ボランティアたちを各所に配置し、ボランティアたちは指示にもとづいて業務をこなしていきます。テレビで見るような土俵を中心に据えた大相撲の会場に体育館が1日で様変わりし、当日私たちは大勢の観客の誘導などに奔走しました。

 2日間のボランティア活動は身体的に楽ではありませんでしたが、学生から年配者まで老若男女のボランティアが協力してイベントを作り上げていく高揚感がありました。また、大勢の人を適切に役割分担して、それぞれの業務を説明するイベント運営の方法を、学生さんは学ぶことができるでしょう。神事の延長として土俵作りのしきたりや力士たちの土俵入りを見て、日本文化を学ぶ機会にもなりました。

 写真はボランティアにお土産として渡された特製座布団(左)と、会場の体育館の床に養生シートを張りつめた後、パイプ椅子と特製座布団を並べ終わった前日の会場(右下)、そして当日の横綱鶴竜と大関高安の結びの一番(右上)です。会場では白熱した取り組みに立ちあがって声援を送る年配の方々や、人気力士にツーショットの自撮りやラインIDの交換をお願いする「相撲女子」たちがいました。

 さて、ボランティアと入試の話です。アメリカの大学の入試では、統一テストSATと高校の内申点だけでなく、ボランティア活動が重視されます。その理由には、「頭がいくら良くても、他人のために働くことを好まない学生を大学は必要としない」、「テストの成績だけで合否を決めると、社会性がなく国や社会のために働けない人材を選んでしまう可能性がある」との考えがあります(読売新聞教育部『大学入試改革――海外と日本の現場から』中央公論新社、16・41ページ)。

 日本でも一部で似た状況が起きています。今春、上位都立高校を推薦入試で受験、合格した≪もんじゅ≫の女子生徒は、面接でボランティア活動や福祉活動、課外活動の実績について質問されました。彼女が障がい者雇用の状況を市役所と訓練センターで見学する≪もんじゅ≫の課外活動に参加したことや中学時代にダンスの世界大会でアメリカへ遠征したことに、面接官は興味を示していたと言います。

 しかし、ボランティアをする本来の目的は、入試対策ではありません。2011年に東日本大震災が起きた時、私は大学教員をしていました。震災直後から学生たちはSNSを駆使して物資を調達し、友人の車に3~4人で乗り込んでは、頻繁に東北地方の被災地へ行きました。週末にがれき撤去作業などをしてから東京に戻り、月曜日には授業を受けていました。そんな若者のボランティア精神と情報技術(IT)の活用能力には、目を見開かされる思いがしました。ボランティアが日本でも根付き始めています。

 日本はすでに右肩上がりの成長を続ける社会ではなくなりました。少子高齢化・人口減少が進み、外国人との共生が模索され、異質な人たちとの協働による「幸福社会」の構築が求められています。その一方で、グローバル化とITの発達により社会格差が拡大しているにもかかわらず、次世代を担う若者への教育がいまだに一点刻みの点数競争が主流では、格差是正や多様性の進展は望むべくもありません。

 ≪もんじゅ≫では子どもたちが将来「善き市民」として成長してくれることを期待しています。そろばん・音読・作文・個別指導などの教室として、学校の成績向上と受験の合格は短中期的な目標の1つです。しかし、それだけでは教育機関として不十分と考えます。各種課外活動などを通じて、お子様の人間的成長を促し、社会貢献ができる有為な人材の育成を、≪もんじゅ≫の長期的な目標としています。